日本語を教えていたということ
私は逃げたのだろうか?今は休息の時間なのだろうか?
やるべきこと。中国語、英会話、教員免許、、、採用試験。
少しでも情報を得ないとやばい。
そんな中、今の仕事中にお隣の職員さんから話しかけられた。
どうやら、お偉いさんが読むスピーチの原稿を書いていたらしく
言葉選びに四苦八苦していたようだ。
この言葉を使ったら、上から目線になるかな?でもこっちなら、ごますりしている
みたいで大げさかな?と言ってある二つの言葉のどちらを使ったいいかな?
とふときかれた。
内容はちょっとフィクションにしてみるけど、
「たくさんの観光客が○○市に来てくださって、よろこばしいことです。」
「たくさんの観光客が○○市に来てくださって、うれしいです。」
さあ、どっち?
ポイントは二つ。
一つは、場面。もう一つは話す人聞く人がどういう関係なのか。
この二つの組み合わせで、無限に答えはある。
これは日本語を教える人が常に考えていることだと思う。
正しい日本語を教える、ってことだけ考えてるのは楽だよ。相手のこと考えなきゃ済むことだから。
と去年まではいきがっていました、私。
今の仕事をしていて、新たなチャレンジって緊張するし大変だけど
鼻をへし折ってくれる大切な経験だとつくづく感じる。
そんな中でも、日本語について質問が来るっていうことは
昔の自分だったら答えられなかったことも少しは答えられるんじゃないかという
うれしさがあった。
それに、どうしても教室だけで教えていたら、その他の場所で実践できないから
緊張しながら、その場に合った日本語を仕事として使う場面は貴重だと感じた。
日本語の先生に復活するのか、もうしばらくはなしになるのか。
私の心がちょっと動きが少ないので、やれること今までやってこなかった
文章をつづることをしている。
この先に答えはあるのかわからないけど。