つづら折りの宴①

少し前のことを思い出した。

阪神淡路大震災が起きたのが1995年の1月。

そのすぐあと1995年4月に神戸に大学進学のためやってきた。

その頃の話。

震災直後の神戸はすごいことになっていたのだが、そのころのことは

また後日。

大学生活の4年間の話って、寮のルームメイトの子とするぐらいだけど、

結構大人の階段をひた昇っていたころなので、その子にも言えなかったことも多い。

単独行動もよくしていた。

なんだか申し訳ないぐらい暇を持て余したり、していたのもこのころ。

いろいろやった。

言い出すときりがないので、今回は神戸市の長田神社で行われたフリーコンサート

「つづら折りの宴」に行った時のことをすこし。

でも、記憶がかなりあいまいで、一回ではちゃんと書けるかわからないので何回かに

分けて書きたいと思う。

その頃、THE BOOMに没頭していた。ファンクラブにも入っていたので、会報が送られていた。

それとは別に何か月かに1回「エセコミ」という、音楽情報の冊子が送られてきた。

「エセコミ」はブームからもう少し間口を広くした広報誌で、いろんな情報が書いてあった(と思う)。

その中で異彩を放っていたのが、ソウルフラワーユニオンの情報。

内容はもうすっかり忘れてしまったのだが、とにかくインパクト抜群だった。

その人たちが、こんど長田神社で「つづら折りの宴」なるものをやるらしい、ことを知った。

知ったのはどこでだろう?たぶん、CDショップとかだろう。

ブーマー(ブームのファンをこう呼ぶ)仲間を誘おうかとも思ったが、興味があるかあいまいだったので

一人でなんとなく行くことにした。

するとすごい人!だった。

でも、若い子だけじゃなかった。いろんな年齢層の人がいて、みんな楽しそうに踊っている。

様々な人がステージに立ち、そしてソウルフラワーの出番。

声!えっ!すごい。声量もすごいけど、今までこんな歌い方で歌う人を知らなかった。

それが中川敬さん。

で、ほかのメンバーものちに知ることになるのだが、印象的だったのが伊丹英子さん。

みんな”ひでぼう”と呼んでいた。 

ステージで安心する存在感を示していたのだが、ステージを降りた後にファンらしき人に

囲まれてて、そのほとんどが女子だった。

たしかに、憧れる存在なんだろうなぁ~ってわかる。

民謡のような歌がほとんどだったのだが、(のちにユニット名が「ソウルフラワーモノノケサミット」

というと知った。)老若男女、踊っていたのが印象的だった。

このステージは、震災の復興を祈って行われたのだが、ほかのメディア化された支援とは

別格で、地域密着なんやなぁと感じた。

ほとんどが手弁当で協力した、とイベント中ずっと言ってたのが印象的だった。

あの場に行った後、「私なにができるのか」と考え、

コドモキャンプリーダーのボランティアに参加し始めたのだ。

この話って、実は友だちにも誰にも言ってないって今気づいた。